①あらすじ
北九州市の高蔵山で一部が白骨化した遺体が発見された。地元のタウン誌でライターとして働く飯塚みちるは、元上司で週刊誌編集者の堂本宗次郎の連絡でそのニュースを知る。
遺体と一緒に花束らしきものが埋めれられており、死因は不明だが大きな外傷はなかった。警察は、遺体を埋葬するお金のない者が埋めたのではないかと考えているという。
遺体の着衣のポケットの中には、メモが入っていた。部分的に読めるその紙には『ありがとう、ごめんね。みちる』と書かれていた。
遺体の背景を追って記事にできないかという宗次郎の依頼を、みちるは断る。みちるには、ある事件の記事を書いたことがきっかけで、週刊誌の記者を辞めた過去があった。
自分と同じ「みちる」という名前、中学生のころから憧れ、頑張り続けた記者の仕事。すべてから逃げたままの自分でいいのか。みちるは、この事件を追うことを決めた──。
※Amazon商品ページより抜粋しております。
②読んだきっかけ
2年前に読んだ『宙ごはん』以来、町田先生の本はとりあえず購入するという姿勢でいた私。
ただ、今回はこの作品の前に発売された『ドヴォルザークに染まるころ』が発売時点で未読だったというのもあり、「積読を増やすのわなぁ…」と購入を先延ばしにしていました。
その間、話題になってはいたものの、なぜか購入に至らず。ドヴォルザークさんに何か悪い気がして(なんの罪悪感やねんと)
先日、『ドヴォルザークに染まるころ』を読み終え
これでドヤ顔しながら購入できる!!
という謎の心意気を持ちながら、初版がまだギリギリ購入できてホッとしつつ、心置きなく購入して読むことができました。
③感想・レビュー
読み始めたときは、白骨化した遺体やらのニュースやら、ヒロインのみちるが遺体を発見したりするので、
あれ?前評判通りにほんまにサスペンス?
というのがはじめに抱いた感想。
山中で白骨化した遺体は何者なのか?という取材をしていくヒロインの行先で何が起きるのか。
これだけでも十分ワクワクできる内容だったなと思います。
サスペンスだけでも十分に面白いなと思ったのですが、町田先生の作品らしいなと感じるのは、共感できる人間が描かれていることです。
私が本作品で残っている気づきの部分は
「自分が思う幸せ」と「自分以外の人が思う幸せ(望む幸せ)」は違う
ということ。
自分が思う幸せってどんなんだろうなと思うと、例えば、家族が一緒にいて元気に過ごしていることとか、お金に不自由しないこととか、仕事で他人から称賛されるなどなど、自分自身の思う幸せは人それぞれ。
でも、そんな自分の思う幸せが、なぜか自分以外の人の幸せも同じだとか、もっと言えば、自分の思う幸せな生き方が、自分以外の人が思う幸せよりも幸せだと思う。
こういうことってないですか?
親が子に願う幸せと子供が望んでいることにギャップがあったりとか、結構よく聞く話だとは思いますが、実は自分も自分の幸せだと思うことを、良かれと思って押し付けているかもしれない。
読んでいて、これは自分にも当てはまるなと思いました。
そして、私は、本作は「ただ誰でも良い、誰かに愛されたかった人や誰かにそこに自分がいると認めてもらいたかった人」と「愛情を注ぎたいのに注ぐことができなかった人」が出会い、つかの間の幸せを得た結果、悲劇と希望が生まれた物語だと思っています。
その希望を現実にするのは、登場人物たち次第なのだろうなと思う本作品。
相変わらず、登場人物たちに希望だけじゃなくて試練も与えるなぁと思いながら読みつつも、私は確信しています。
きっと、登場人物たち試練を乗り越えるための仕上げはアマリリスになるだろうと。
そして、いつか私も私にしか書けないものを書いてみたいなと思うそんな作品でもありました。
④こんな方にオススメ
・自分の幸せとは何かに気づきたい方
・自分の価値観が否定されて落ち込んでいる方
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