①あらすじ
人の間に生き、なによりも深く人を愛した猫は、今日も誰かの心に「生きる意味」を問う……。
愛情への渇望に揺れる、母と二人暮らしの中学生・景奈がある日出会ったのは、尻尾の長い、ベージュと黒のマーブル模様の猫だった。
エルと名乗る「彼」は、舐めて瞬時に傷を癒やし、人語を操る不思議な力を持っていた。
「私はもう四〇〇年 生きている」
なぜか老いもせず、病に倒れることもなく。
永遠にも似た時間を生きるエルが、母や友との向き合い方に悩む景奈に問いかけた言葉とは――。
「彼」は、ほかにも様々な事情を抱えた人々と時間を共にする。
仕事も人間関係もすべてが嫌になり自死を考えるアラサー会社員男性、父親の死を看取れなかったことを後悔し続ける50代の豆腐屋2代目男性、病を患い余命宣告を受ける心優しい80代女(紹介文ママ)……。
これは巡る季節の中、傷つき迷える人々にそっと寄り添い、希望の光を灯す奇跡の猫の物語。
※Amazonの商品紹介ページより引用しております。
②読んだきっかけ
Xで作者の清水先生が告知していた作品。
前情報はほぼなしで、永遠猫?という単語から、かなり長くいきている猫が主役の作品なのかな?と思いつつ、タイトルだけで読んでみたいなと思った作品。
8月28日発売とこれがまた私が読むと決めていてた『白魔の檻』(山口未桜)と同日発売ということもあり、実は『白魔の檻』を読んだ後にこの作品を読もうと決めていました。
そして、8月27日、発売日前日に『白魔の檻』をフラゲできないかと思って、書店に仕事帰りに寄ったら、『白魔の檻』はまだ店頭に並んでいなくて、偶然一緒に買おうと思っていた『永遠猫の祝福』は置いてあり、これは先に手に入れておこうということで、購入。
『白魔の檻』のついでみたいな感じで『永遠猫の祝福』の作者の清水先生に失礼な感じでもあるのですが、正直に書くと、購入までに至った経緯はこんな感じでございます🙇
③感想・レビュー
読んだきっかけは正直失礼なことを書いてますし、前情報なしでただ、Xで清水先生知ってるし、タイトルを見て興味が湧いたという理由だけで読み始めた本作品。
まさか、号泣レベルで泣かされるとは読む前は思ってもいませんでした。
清水先生が書いた作品なので、400年生きている永遠猫がコミカルに登場人物に関わるファンタジーテイストのお話なのかなと読む前は思っていたのですが…
本作品は、400年生きている永遠猫が各章の登場人物に出会い、永遠猫を通して
『死』から『生』を見つめる作品
だなと全体を通して思いました。
そして、思った通りというか、人語を話せる永遠猫と登場人物たちの会話は基本的にコミカルで読みやすい作品だなと思いました。
そのコミカルの中にも、永遠猫が鋭いことを語り、読者は亡くなった人を思い出したり、生きるということについて気づきを得たりする物語だなと感じました。
もしかすると、その気づき部分は永遠猫流のネコパンチを読者に食らわせているのかもしれません。
そのネコパンチ、読者の属性によってはめちゃくちゃ効くパンチだなと思います。
私の場合、2024年11月に母が他界しました。
転倒して足を骨折し、手術は成功したのですが、高齢ということもあり手術後の数日後、肺炎に罹り、数日後で息を引き取りました。
病院に呼ばれた時に、最後まで生きようとしていた母の前で泣かずに、母の手を握り、笑顔で見送ろうと決めていた私。
母親の心臓が止まる瞬間も笑顔で、通夜や葬式の時なども泣かずに耐え抜いた私。
そうしたいなと思った理由は、母親が入院して手術をすることになった原因である骨折に気づいてやれなかったという後悔からでした。
ここまでの流れから、転倒して骨折が確認できてすぐに病院に連れて行って手術したんだと思われるかもしれませんが、それは違います。
母の骨折に気が付いたのは母が転倒して骨折してから5日後のことでした。
もともと、パーキンソン病でなかなか足が思うように動かなった母で、転倒することもよくあり転倒後も普通に過ごしていたようです。
骨折したその日の転倒後も母が痛がらなかったということで、いつものことだと思い骨折に気が付かなかった私の父と母を世話している叔母。その時のことを、一緒に暮らしていない私が父や叔母を責めることはないのですが、私の中でどうしても後悔していることがあります。
それは、母が骨折したであろう2日後に父から用事を頼まれて実家に寄る用事があったのにその日に実家に寄ることができなかったことです。その日、仕事で遅くなり、父からも用事が解決したから、今日は来なくてよいと言われ、実家に寄ることなく帰宅してしまいました。
あの日、定時で仕事が終わって実家に寄り、母の骨折に気が付いていたら、母の骨折に気づくのに5日もかかっていなかったかもしれないし、その時に骨折に気が付いて病院に連れて行っていればその分手術もスムーズにできて母は今でも生きていたかもしれない。
そう思うと、私は母の死に対して今でも後悔しかないのです。
そのせいか、もう母が亡くなってそろそろ1年も経ちそうなのですが、思い出すことは、母が亡くなる間際に病院で母親の手を握って看取ったことや、骨折に気が付いて救急車を呼んだこととか母の死の間際のことばかりなのです。
母との思い出はもっとたくさんあって、楽しいこともたくさんあったはずなのに
でも、本作の永遠猫が言うように、亡くなった人との思い出は最後の瞬間だけじゃないし、ましてずっとひきづっていてもよいものではないでしょう。
そして、私はそれをいつまで自分で後悔して、あの時の自分を許せないまま過ごしていくのか、1年なのか3年なのか10年なのか、私が死ぬまでなのか。
本作を読んでいて、永遠猫に私がこんな話をしたら「阿保!」と言われそうな内容のことをやっていたのだなと読みながら思いました。
そして、自分もいつまでもその時の後悔にとらわれたままではダメだし、その後悔から一歩進もうとするのも自分にしかできないし、と思うと、母が亡くなって我慢していたはずの涙が自然とあふれてきました。
おそらく私は永遠猫とその出会う登場人物たちを通して、初めて、母の死についての後悔から立ち直るための一歩を進めることができたのではないか。
私の中ではそんな作品として心に刻まれる作品になりました。
日常ファンタジーでどこかほのぼのとした物語ではありますが、私のように亡くなった大切な方に対する後悔を抱えている方や死にたがりのあなたに読んでほしい物語です。
④こんな方におすすめ
・悩みが苦しくて死にたいと思っている方
・亡くなった大切な方に後悔の念を抱いている方
・生きるということはどういうことかを考えてみたい方
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